モンゴル通信2

〜ウランバートルからの風〜 初冬のメールから

ご無沙汰しました。ようやく、第2回目のモンゴル便りを送れそうです。
11月の初め頃は暖かい日が続いていましたが、12日から天気が崩れはじめ、昨日今日は寒さで顔の表面がピリピリとし、耳は覆いが無いと千切れるほどの痛さです。

初冬のセルベ川

さて、写真の1枚目は今月の初め日中は比較的暖いときに撮ったものです。
ウランバートルの中心を流れるセルベ川の風景で、川の中(というより上)を子どもが歩いているのを撮りました。
つまり、川が凍っているところをお見せしたかったのですが、三流アマの悲しさ、殆どそのようには見えませんネ。
ということで、すでに10月の中頃から川の表面は凍り始めていました。

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中央から右への白い流れがセルベ川
そして、どこまでも澄んだウランバートルの空

モンゴル政庁にて

2枚目はモンゴル政庁、つまりモンゴル政府の中枢をになう建物の風景です。
政庁前の広場は日本でいったらさしずめ二重橋前広場といったところでしょうか。
広場の中心部にはモンゴル独立の英雄スフバートルの像が聳(そび)え建っています。
当然、モンゴルでもお上りさんはいち早く、このあたりで記念写真を……という次第で、プロの写真屋さんがいっぱいたむろしています。

さて、今回この写真をお送りしたのは、単にそうした名所旧跡のつもりからではありません。
実は、この建物は日本人にとって悲しい歴史を物語っているものです。ある年代以上の方ではご存知の向きもいらっしゃるでしょう。
第二次大戦終了後、シベリアなどに抑留された兵士の一部が、モンゴルにも送られて来ていたのです(私は不明にしてモンゴル派遣が決まるまでこのことは知りませんでした)。
在モンゴル日本大使館の資料では約12000名がモンゴルに抑留され、強制労働に従事した、ということです。
そのうち1600名の方が死亡されモンゴルの土と化しました。

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その、抑留者の方々が作りあげたもののひとつが、このモンゴル政庁なのです。
同僚のエルデム先生によると、さすがに日本人の作ったものはしっかりしていて、素晴らしいということです。
50年の歳月を経た今も何一つ欠けることなく堂々と聳え建っています。
確かに中国人やロシア人の作った建物はお粗末で、私のアパートなど築後10年も経っていないというのに、窓はキチリと閉まらない、ドアのノブは半分ほど行方不明といった状態です。
所用でこの政庁の脇を通るときはいつも抑留者の方々のことを考え、胸が痛みます。
この極寒の地で遠い故郷を思いながら亡くなられた人たちの心の中はいかばかりだったかと。
つくづく、戦争の無い(少なくとも日本では)現代を有り難く思う次第です。


◆平和への願いは、どの国の人々も同じです。
悲しい記憶を忘れず、次の世代に伝え、新しい平和な歴史を育み続ける事が今を生きる私たちの、ささやかな努力なのでしょうね。